ある日、シャネルはバルサンに提案した。「帽子店を開きたいの」。バルサンはシャネルが暇つぶしのために言い出したのだと思ったが、それもいいじゃないかと考えた。そこで、パリにあるアパルトマンの一室をシャネルに提供した。一九〇八年、二十五歳。シャネルはパリーマルゼルブ大通りに帽子店を開いた。のちに、シャネルが初めて帽子店を開いた場所」として有名になるとは、二人とも思いもしなかった。パリ、憧れのパリ。けれど田舎娘にとって、そこは恐ろしいところでもあった。誰も知らないし、いわゆる社交界のニュアンスも、名家の略歴、スキャンダル、冗談もどこに書いてあるというわけでもない。そのくせ、みんなが知っていることであり、そして、それこそが得体の知れないパリそのものだったのだろうが、例の傲慢さのせいで人に聞くこともできないし……。だから、表面上は何も怖れていないような顔をして、「みんなが知っていること」を知ろうとした。必死だった。とにかくあたしは田舎の小娘だと思われたくなかった。自分をちゃんど真面目にとってもらうために嘘もっいた。小説のヒ口インのように自分を作り上げた。